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​片思いの美学

 わたしが恋をしたのは、わたしなんかではとても手の届かない人だった。いつも高いステージの上からわたしたち観客を見下ろして、みんなに平等に愛を分け与える人。知り合ったときにはすでに熱狂的なファンが多く存在していたし、それからはもうあれよあれよという間に有名になって、今やガラルを代表する人気シンガーだ。
 だけど、有名人になって忙しくなっても、なぜかわたしと会うのをやめないでいてくれる。たくさん気遣ってくれるし「おまえといると落ち着きます」なんてリップサービスしてくれたりもするけれど、その理由はよく分からない。……分からないけど、わたしとネズさんは恋人なんて大層なものではないし、これから関係が進展するとも思えない。わたしだけが一方的にネズさんを好きで、わたしばかりがどきどきさせられている。それがちょっぴり悔しいけれど、わたしから気持ちを伝える気はない。今の関係でも十分心地いいし、何より関係が壊れてしまうのが怖い。
 好きな人をずっと見守っていると言うと、どうして告白しないのか、と聞かれることがある。片思いにだっていいところはある。告白しなければ振られることもない。期待しなければ落ち込むこともない。ずっと片思いで構わない。この恋を失って悲しむくらいなら、一方通行の恋を続けているほうが、遠くから見つめているだけのほうがずっとましだ。わたしの人生からネズさんの存在がなくなってしまったら、わたしは一人で生きていける気がしない。ネズさんほど大切に思える存在に出会えると思えないし、出会いたいとも思わない。願わくはこれが最後の恋になりますように、なんて思ったり思わなかったり。
 ネズさんをわたしだけのものにしたい。だけど、あんなに素敵なネズさんがわたしなんかを好きになってくれるはずがない。ネズさんとわたしじゃ釣り合わない。高嶺の花は手が届かないからこそ美しいのだ。
 とはいえ頭のどこかではやっぱりネズさんと両思いになりたいとも思っているし、そういう妄想をすることもある。手を繋いで、口づけをして、そしてその先も――。だけど、これらは全部あくまで妄想なのだ。妄想に留めておくべきだ。実現したいと願ってしまったが最後、もっともっと欲しくなってしまう。わたしは強欲だ。ネズさんの心を少しでも手に入れてしまったら、その全てを余すことなく独り占めしたくなってしまう。
 それから、わたしとネズさんとでは対等な関係になれないとも思う。ネズさんと見つめ合っていると後ろめたい気持ちでいっぱいになって、どこかに逃げてしまいたくなる。透き通るような瞳に心の中を覗き込まれて、醜い感情がぐるぐると渦巻いていることを見抜かれてしまうような気がする。ネズさんのことが好き、大好き、わたしだけのものにしたい。ネズさんの特別な存在になりたい。独り占めしたい、誰にも取られたくない、どこかに閉じ込めてしまいたい。だけどわたしにはそんなことをする資格なんてない。わたしじゃネズさんの隣にいられない。それに何より、こんな気持ちを知られたら距離を取られてしまうだろう。ネズさんが誰かに取られてしまうのも嫌だけれど、それ以上に本当のことを伝えて拒絶されるのが怖い。わたしの内面を知られて幻滅されたくない。
 ネズさんのことずっと好きでした、本当はそう伝えたい。ネズさんの隣にいたいし、手を繋いでみたいし、もっともっと色んな話をしたい。だけど、アイスグリーンの瞳と向き合うとなぜだか嘘がつけなくて、いつか心の内を全て打ち明けてしまいそうだ。ネズさんに見つめられるとわたしはわたしでいられなくなってしまう。だから、遠くから一方的に見つめているだけでいい。この距離感がベストなのだ。
 
 このライブ会場にも何度足を運んだだろう。ネズさんがわたしでない誰かに微笑むたび、胸がきゅうと締め付けられる。いつまで経っても慣れることのない苦しみ。独りよがりの恋に涙を流し、まだ見ぬ敵への嫉妬に狂って眠れない夜は数知れず。だけど、この痛みも大好きなネズさんに与えられているものだと思えば何だか愛おしい。手放したくないとすら思う。
「今日もおまえらにエールを送りますよ!」
 ネズさんが眩しい笑みを浮かべている。その横顔を遠くから眺めているのが好きだ。いつかはその笑顔をわたしだけに向けてほしい。でもどうせこんな願いは叶わないのだから、せめてずっと夢見ることを許してほしい。
 今日も大好きな歌声が響く。「愛してるのエールをあげる」。その「愛してる」がわたしだけのものになればいいのにね。

write:2021.01.10

edit:2021.08.01

相互さんのお誕生日祝いに書かせていただいたものです!

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