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嘘をつくのは苦手です

「この子たち、最近よく見ますね」
 二人でテレビを見ていたとき、ネズさんがふとそう言った。視線の先には清純さを売りにしたアイドルグループ。やっぱりネズさんもこういう可愛い子が好きだったりするのかな。
「なんか人気らしいですね。わたしもあんまり詳しくないんですけど」
「へえ、意外ですね。おまえはラブソングが好きだし、こういうのも知っているのかと思っていました」
 テレビの中の女の子たちが歌っているのは、叶わない片思いの歌。まあ確かに、わたしにぴったりではある。ずっとネズさんのことが好きで、ひょんなことからこうしてお近づきになれたけれど、決して付き合っているわけじゃない。わたしはよく分かりやすいよねと言われてしまうし、ネズさんにもわたしの気持ちなんてきっとぜんぶお見通しなのだ。でも優しいから断らないでわたしのワガママに付き合ってくれているんだと思う。だって誘うのはいつもわたし。なんだかちょっと悔しい。今日は一年に一度の『嘘をついてもいい日』。たまにはネズさんを振り回して、どきどきさせてみたいなあ、なんて。思い立ったが吉日。
「ネズさん」
「どうしたんです?急に改まって」
 ごくりと唾を飲み込む。
「この際だから言っておきますけど、別にわたし、ネズさんのこと、恋愛的な意味で好きとかじゃないですからね。むしろ、えっと、あ、昨日のドラマに出てた俳優さんのほうが、まあ顔はよっぽど好みですし……」
「……へえ。それ、本当ですか?」
「ほ、本当です。ずっと言いたかったので、言えて満足です」
 無理やり口角を上げてみる。胸の奥がきゅっと痛む。いやだなあ、いくつになっても嘘をつくのが上手にならない。本当に。
「ちょうどよかった。おれもおまえに言っておきたいことがあるんですよ」
 ネズさんがわたしの目をまっすぐ見つめた。
「おれ、恋人ができました。こうやって一緒にいられるのも今日が最後です」
 え?
「え、な、なんで、急に……」
 急にそんなこと言われたって信じられない。そんな素振り、昨日までは全く見せてこなかったのに。
「突然の報告になってしまってすみませんね。短い間でしたがきみには本当にお世話になりました」
「ちょっと、待ってくださ、」
「さて、言いたかったことも言えてすっきりしました。おれは夕飯の買い出しに行きますけど、きみも一緒に来ます?」
 こんな大事なことをさらっと告白しておいて、態度も声色もいつも通りなのが信じられない。確かにわたしたちは付き合ってたわけじゃないし、わたしの片思いだって分かってたけれど、こんなのってないよ。いくらなんでも急すぎる。わたしがネズさんのこと別に好きじゃないなんて言ったから今このタイミングでそんなこと言ったの?呼び方だっていきなり『きみ』だなんて随分よそよそしくなってしまって。頭にきた。もうネズさんのことなんかぜんぜん好きじゃない。
「……行かない」
 喉の奥から絞り出したような、低くて不貞腐れた声だった。ネズさんはわたしに背を向けた。
「わかりました。じゃあ適当になにか買ってきますね。せっかく最後の晩餐ですし、きみが食べたいものを作ろうと思っていたんですが」
 こんなときでもネズさんは優しくて、その優しさがわたしの心をずたずたに傷つける。そっちから突き放すようなことを言っておいて、なんでそんなこと言うの?まだわたしにもチャンスがあるのかなって期待しちゃうよ。ひどいよ。わたしがネズさんにどれだけこじらせた思いを抱いてるか、ネズさんはちっとも分かってない。
「……なんでもいいです。行ってらっしゃい」
 玄関で靴を履いているネズさんに、ぶっきらぼうに声をかける。ネズさんはちらりとも振り返らない。せっかくだしちょっといじわるしちゃおうと思っただけなのに、たまにはネズさんのことちょっと困らせて楽しんじゃおうと思っただけなのに、わたしばっかり振り回されて、こんな惨めな思いしなきゃいけないなんて本当に最悪だ。こんなことなら初めから嘘なんてつかなきゃよかった。せめて最後の日くらいは楽しい思い出にしたかったのに。今日が最後だなんて知らなかったから。嘘だって言ってほしい。わたしが本当のこと言ったら、ぜんぶ嘘にならないかな。
「それじゃあ、行ってきます。いいこで待っててくださいね」
 ネズさんがドアを開けた。言葉が出ない。
「待って、わたし、本当は、」
 泣きそうな声とドアの閉まる音が重なった。ネズさんにはわたしの声はきっと届かなかった。
 自分から突き放したにも関わらずすぐに後悔して、それなのに強がって最後まで素直になれないわたしは本当に馬鹿だ。ネズさんが愛想を尽かして離れていくのも当たり前。わたし本当に可愛くない。テレビの中の女の子みたいに、もっと素直に、もっと可愛くなれたら、ネズさんだって振り向いてくれたかもしれないのにな。もう今となってはなにもかも遅いけれど。
がちゃりとドアが開いて、今いちばん会いたくて会いたくない人の顔が見えた。
「忘れものしました……って、えっ、」
 ポーカーフェイスがみるみるうちに崩れていく。ネズさんが珍しく靴を脱ぎ捨てて、こちらへ駆け寄ってきた。
「おまえ、どうして泣いてるんです」
 ぽたぽたと涙がこぼれ落ちていくのが見えた。……わたし、泣いてたんだ。洋服の袖で慌てて両目を拭って、うつむいた。
「……胸が痛いから、です」
「もしかして、嘘、つきましたか、おれに」
 図星。やっぱりわたしは嘘が下手だった。やっぱりネズさんには何でもお見通しだった。
「わたし、ほんとは、すき、です、…ネズさんのこと、」
 鼻声の告白。最悪。かっこ悪い。でも、もうこれ以上は嘘なんてつけない。
「……おまえは本当に嘘が下手ですね。知ってましたよ、ずっと前から」
 優しいネズさんがすこし屈んで目線を合わせてくれた。眉がへにゃりと下がった、柔らかい笑顔。よしよしと頭を撫でられる。
「おれも嘘をつきました。おれはね、恋人もいないし、おまえの側からいなくなったりもしません。だから、明日も一緒にいましょうね」
 ネズさんの気持ちは相変わらずぼやけて見えないけれど、少なくともわたしのことを嫌いになった訳じゃないと分かって、わたしは思わずネズさんの懐に飛び込んだ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を暖かい胸にうずめても、ネズさんはずっと優しいままでいてくれた。

write:2020.04.01

edit:2020.08.01

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