わたしを見つめる瞳
目に何か変なものが入ってしまった。鏡で確認してみてもそれらしきものは見当たらない。でも目の中には確かに異物感があって、気になって仕方なくてごしごしと擦る手を止められない。
「あぁほら、目を擦ってはいけませんよ。ゴミが入ってしまって気になる?全く、子どもですかおまえは」
だって痛いんです、と駄々をこねる。瞬きをするたびに目の中がごろごろする。
「とりあえず擦るのはやめなさい。おれが見てやりますから」と言ってくれたので、大人しくその言葉に甘えることにした。なんだか申し訳ない。ネズさんの大きな手に両頬を優しく包まれて、それだけで心臓が暴れだした。
「…もう少し近くに来てください。そんなに離れてたら見えませんよ」
ネズさんとは恋人でもなんでもないので(わたしが勝手に片思いしているだけ!)、これ以上近づくのはなんだか恥ずかしい。じっと見られているだけでどきどきして落ち着かないのに。いやいやと首を振ると、「仕方ない子ですね」と溜め息をつかれた。あ、また子ども扱い。
わたしはネズさんに"そういう"相手として全く意識されていない。さみしい気持ちもあるけれど、それはそれで特別扱いしてくれているような気もして、今の関係も嫌いじゃない。憐れみと慈しみの籠った優しい瞳に見つめられると、胸の奥がきゅんと切なくなる。恋人とかそれ以上になりたいなんて高望みはしないから、できればこんな関係がずっと続いてほしい。
ぼうっとしているわたしに痺れを切らしたのか、ネズさんのほうからずいっと距離を詰められる。わ、あ、近い。ネズさんのすっと通った鼻のてっぺんがわたしのそれにちょん、と触れた。待って、まって。あと少し近づいたら唇まで触れてしまいそうだ。どんどん荒くなる呼吸も鼓動もきっとぜんぶ伝わっている。だけど、ネズさんは顔色ひとつ変えない。向こうは別にそういうつもりでやってるんじゃない。むしろ善意をもってわたしの目を見てくれているのに、それなのに勝手に興奮してしまっているのがすごく恥ずかしくて、まっすぐ射抜かれるような視線に耐えられなくて、ぎゅっと両目を瞑った。
しばしの沈黙。両の頬に添えられた手が冷たい。あ、目の中のゴミを探してもらっているんだから目を瞑っちゃ駄目だった、と気づき慌てて瞼を上げようとしたとき、ネズさんの優しい声がわたしの名前を呼んだ。
ちゅう、と唇に柔らかいものが触れる。
え、な、なに、なんで?思わず目を見開けば、いつもと違う、いじわるな笑み。やけに優しい手つきで頬を撫でられて、とどめの一撃。
「期待してたみたいだから、お望み通りにしましたよ」
そのあとのことはよく覚えていない。頭にかあっと血がのぼって、ネズさんの目を見ていられなくなって、気がついたら逃げ出していた。
ネズさんはどうしてあんなことをしたんだろう?いつも子ども扱いされるから、わたしのことなんてどうでもいいんだと思ってたのに。単に揶揄われただけなのかな。顔が近づいただけで真っ赤になるわたしの反応を楽しんでいたのかな、でもそんな理由でキスなんてしないよね、どうしよう、次に会うときどんな顔をすればいいの。
……そういえば結局、目の中のゴミはまだ取れていない。ごろごろして気持ちが悪いけれど、それ以上にすっかりのぼせてしまった頭と今にも破裂しそうな心臓を落ち着かせなければいけなくなってしまった。訳がわからなくて涙が出てきた。混乱して止められなくて、ぽろぽろ零れる。これで目の中のものを(ついでにわたしの不純な気持ちも)ぜんぶ洗い流してくれたらいいのに。
write:2020.02.06
edit:2020.08.01