湯けむりの街
ネズさんと二日も休みを合わせることができたので、ふたりで温泉旅行をすることになった。電車とバスを乗り継いで、風情豊かな温泉街へやってきた。旅館には昼過ぎに到着。部屋に荷物を置き、少しだけ休憩したらさっそく大浴場へ向かった。
家よりも大きなお風呂って、なんだかそれだけで楽しい。お湯からはいい香りがするし、ゆっくりと浸かったら肌もすべすべになった気がする。温かくてとても気持ちよかった。
お風呂から上がって浴衣に着替える。すっきりとした気分でのれんをくぐると、同じく浴衣姿のネズさんがわたしを待っていた。いつもとは違う雰囲気をまとったネズさんがこちらに手を振っている。
温泉に入ってしっとりとした白い肌に、紺色の浴衣がよく映えている。いつもよりゆるくまとめられた髪の毛。襟元からちらりと見える鎖骨、さらけ出されたうなじ。浴衣が似合いそうだとは思っていたけれど、よ、予想以上にかっこいい……。
「ほっぺが赤くなってますよ。ちゃんと温まったみたいですね」
ぼんやりと見とれていたら話しかけられて、慌ててうなずく。わたしの頬が赤いのはきっとお風呂のせいだけではないけれど、ネズさんには絶対に秘密。
「とろけた顔しちまって、おれの恰好がいつもと違うから見とれてるんですか?」
……ぜんぶお見通しだった。恥ずかしい。わたしの考えていることなんてネズさんには何もかも筒抜けな気がして、いても立ってもいられなくなってしまう。
「まったく、おまえはいつまでもウブで可愛いですよね。おまえも浴衣、似合ってますよ」
か、かわ……!?熱くなった頬を手のひらで包んで冷やそうとしていたら、続けて爆弾を落とされる。こっちが恥ずかしくなるようなことも平気で言ってしまうネズさん。ずるい、ネズさんって本当にずるい。
「温泉なんて久々に入りました。気持ちよかったです」
ネズさんはいじわるな顔でわたしをからかってから、今度は柔らかい笑みを浮かべた。大好きな表情。どきどきさせられっぱなしで悔しいけれど、一緒にいるとやっぱり楽しい。
「まだ時間がありますね。ちょっとお散歩にでも行きましょうか」
時計を確認すると夕食の時間まであと数時間ほど余裕があったので、旅館の外に出て温泉街を見て回ることにした。
浴衣と一緒に借りた下駄をカランコロンと鳴らしながら、ふたりでゆっくりと温泉街を散策する。旅館、小料理屋、お土産屋……色んなお店が並ぶ坂道をのぼっていく。
ちょっと歩いて小路に入ると、道の脇に小さめの足湯があった。タイミングよく誰もいなかったので、一緒に入りましょうと提案する。ネズさんも快諾してくれたので、うきうきしながら下駄を脱いだ。
「浴衣がお湯に浸からないように気をつけてくださいね」
そう忠告してくれたので、言われた通りに浴衣の裾を持ち上げ、乳白色のお湯の中に足を入れる。少し熱かったけれどすぐに慣れた。独特な香りも心地いい。裾をまくりながらネズさんの隣に座る。
「温泉っていいですよね。おれも何度かキルクスタウンの足湯に行ったことがありますけど、こうして知らない土地の湯に浸かるのも楽しいですね」
ネズさんが穏やかな笑みを浮かべている。わたしもつられて笑う。喜んでもらえてよかったな。あ、油断していたらまた浴衣がお湯に浸かっちゃいそう。
「あんまり裾を上げすぎると中が見えちまいますよ」
あっ!?そう指摘されて慌てて脚を隠す。浴衣を直した。恥ずかしい、またはしたないところを見せてしまいそうになった……。ネズさんは真っ赤になっているであろうわたしを見てクククと笑った。
しばらく足湯を堪能してから、また街の散策を続ける。素敵な風景の写真をたくさん撮ったり、甘味処に後ろ髪を引かれたりしながら歩を進めていると、なんだか懐かしい雰囲気のお店を見つけた。看板には「射的屋」と書いてある。お店の中をちらりと覗くと、所狭しと景品が並んでいた。すごいな、射的なんてお祭りの屋台でした見たことなかったけれど、こんな立派なお店があるんだ。
初めて見る光景にちょっと感動していたらネズさんが「射的屋さん、入ってみます?」と誘ってくれたので、お言葉に甘えて遊んでいくことにした。
お店の人にお金を払い、弾を二十発ほどもらう。さっそく撃ってみるけれど、銃が重くて構えるのが難しい。ふらついて安定せず、なかなか的に当てることができない。ちらりと横を見ると、ネズさんは何度も上手に的を射ている。すごいな、やっぱりネズさんはかっこいいな。
弾丸があと数個になってしまって、あんまりうまくできなかった……ともやもやしていたときだった。
「こうやって構えるんですよ」
背後から抱き締められるように身体を包み込まれて、ネズさんの手がわたしのそれに重ねられた。あっ、あ、あ……!姿勢はこうで、とか、あの的が狙いやすそうですよ、とか手取り足取り教えてくれるけれど、正直それどころではなかった。
近い、ネズさんが近い、めちゃくちゃ近い。身体が密着している。添えられた手がやけに冷たく感じる。至近距離でネズさんの声が聞こえてどきどきしてしまう。話の内容が何も頭に入ってこない。待って、まって、どうしよう……。
「おれの話ちゃんと聞いてます?……緊張してるのバレバレですよ。真っ赤になっちまって、かわいいですね」
ひ、ぁ……!耳元でネズさんの低い声が聞こえて背中がぞわぞわと粟立つ。手の上に重ねられたネズさんの長い指が、わたしの手の甲をすりすりと撫でる。わたしがネズさんに弱いことを分かっていながらわざとこうやって意地悪してくるなんてひどい、本当にひどいよ……♡
何も言葉が出てこなくて、あ、とか うう、としか言えなくなる。泣きそうになってしまったわたしを見て「あー、よしよし。ちゃんと教えてあげますからね」と頭を撫でてくれた。
それからちゃんと構え方を教えてもらって、もう一度撃ってみたら数発ほど景品に当てることができた。やったー!と喜んでいたらネズさんも微笑んでくれた。
「汗かきましたね、もう一回お風呂に入ってもいいくらいです」
景品をもらってお店から出てきたら、ネズさんがそう言った。確かに、わたしもたくさん汗をかいてしまったな。
「部屋にもお風呂ついてましたよね。一緒に入ります?」
え!?一緒に!?一緒にお風呂なんて入ったら裸を見られてしまう。わたしの裸なんて見たって面白くも何ともないけれど、ぜんぶ見られちゃうんだ、って想像しただけで恥ずかしくて顔に熱が集まってしまう。いやむしろわたしがネズさんの裸を見て鼻血出しちゃうかも。そのまま、え、えっちな雰囲気になっちゃったりして……。
「なに期待してるんです?そんなに緊張しなくても、一緒に風呂に入ったくらいで襲ったりしませんよ」
ネズさんにそう言われて心臓がどきりと跳ねる。わ、わたし、別に期待してなんて。取り乱していたらぐいと引き寄せられた。ち、近い。耳にネズさんの唇が触れてしまいそう。
「お楽しみは夜まで取っておきましょうね」
あっ、わ、わ~~っ……!?低くて甘い声で囁かれて、おまけに耳にキスまで落とされてしまった。驚いているわたしを見て、頭上のネズさんがくすくすと笑う。ああ、やっぱりわたし、今夜ネズさんに食べられちゃうんだ……。夜のことを想像したらどきどきしすぎて、もうネズさんの顔をまともに見られなくなってしまった。
write:2020.11.21
edit:2020.12.05